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第3回 八幡太郎の日本史の時間「映画『関ヶ原(原作・司馬遼太郎)』から」

 

皆さん、こんにちは。第3回目は8月26日から劇場ロードショウ公開が始まりました話題の『映画 関ヶ原』に関わる人物について述べていきたいと考えています。

 

取り上げるのは、西軍の実質的総大将であった「治部少輔 石田三成」についてです。皆さんも大変よくご存じの石田三成に関するエピソード(逸話)を幾つか述べていきます。

 

最初は石田三成と豊臣秀吉の出会いとなった有名な「三杯の茶(三献茶)」です。この話は秀吉(当時は羽柴性)が長浜城主時代に鷹狩りの帰りに喉の渇きを覚え、観音寺に立ち寄り、寺小姓に茶を所望した際、寺小姓は最初に大きめの茶碗にぬるめの茶を、次は1杯目よりやや小さい茶碗にやや熱めの茶を、最後に小振りの茶碗に熱い茶を出しました。まずぬるめの茶で喉の渇きを鎮めさせ、後の熱い茶を充分味あわせようとする寺小姓の細やかな知恵配り・心遣いに感服した秀吉は彼を家来とした。それが後の石田三成であるという逸話です。

 

この逸話は相手のことを考え、想い、如何に相手(秀吉・お客様)にお茶を美味しく気持ち良く飲んで貰えるかという「おもてなしの心」の神髄であったと思われます。単なる「サービス」を提供するのではなく、お客様との「一期一会」を大切にし、最高の「おもてなしの心」を持ち接することが出来るかは現代にも通じる逸話だと思いますね。

 

次は、関ヶ原の戦いに敗れ、捕縛された後の処刑(京都六条河原)直前に、警護の人間に喉が乾いたので水(白湯)を所望したのに対し、「水(白湯)は無いが、柿がある代わりにそれを食せ」と言われたところ、「柿は痰の毒であるのでいらない」と答えたというものです。警護の者は「すぐに首を切られるものが、毒断ちして何になる」と笑ったが、三成は「大志を持つものは、最期の時まで命を惜しむものだ」と泰然としていたといいます。このように逆境の中でも「志」を失わなかった部分が三成を「信義の人」と呼ぶ所以ではないかと思います。

 

最後に「三成に過ぎたるものが二つあり、島の左近に佐和山の城」と言われた島左近勝猛という名家老がいました。島左近が三成に仕えるようになった時の三成の領地は4万石でした。その内の2万石を左近の領地として与えたのです。ドラマの中で出てくる三成は不正を見逃さない厳しい吏僚(官僚)の雰囲気である人物ですが、本当はそうではなく、自分や家臣の為には惜しまず、慕われていた暖かい殿様であったのではないかと思います。

 

続く